LÜCY インタビュ

LÜCYは台北を拠点に活動する、2000年生まれのシンガーソングライター。2021年のGIMA(金音創作奨 Golden Indie Music Awards)で楽曲『Heaven.zip』が「ベストフォークソング賞」にノミネートされ、2022年のプリマヴェーラ・サウンド(スペイン・バルセロナで行われる音楽フェスティバル)への出演も果たすなど、台湾インディーシーン期待の新鋭だ。

そのファッションやMV、アートワークにも注目が集まる。今回は、そんな次世代のカルチャーアイコン、LÜCYにインタビューを行い、これまでのキャリアやデビューアルバム『LÜCY』、羊文学とのコラボレーションなど、「今知りたいLÜCYの全て」について語ってもらった。

「旅」を表現したデビュー
アルバム『LÜCY』

LÜCYは最近、Facebookに「多くの人は日記をつけることで人生を記録してます。けど、私は自分の人生に起こったことを、メロディーと歌詞で記録するのが好きです。私の名前にちなんで『LÜCY』と名付けられた1stアルバムは、私にとっての「音の日記」です」と投稿しているように、その詩世界は内省的でパーソナルなものだ。

――デビューアルバム『LÜCY』がリリースされました。
アルバムのコンセプトについて教えてください。

「コンセプトは旅です。私が今年から乗り出した、曲がりくねる音楽の旅路が表現されています。例えるなら、収録曲は道路で見かける標識のようなものですね。家族や友人、恋愛などについて、自分との対話を通して考えたことを曲にしています。大きなことから、ちょっとしたことまで、全て自分の身に起こったことです。

――アートワークもとても印象的ですよね。
ここでもアルバムのコンセプトが反映されているのでしょうか?

「ここでは私とバンドメンバーがまだ見ぬ土地へと向かう様が描かれています。例えば、『Cactus』を象徴するサボテンが描かれているように、各収録曲を象徴する要素で構成されています」

――個人的に特に思い入れのある楽曲はありますか?

「『2021』ですね。私が本格的にミュージシャンとしてのキャリアを歩み始めた年を表しています。自分でも不思議なくらい、心が動かされるんです。ホームシックで泣いていた頃に書いた曲で、後に家に帰り、部屋に母親や兄弟を招いて、彼らの話し声とともにレコーディングしました。なので、私の家族の声も聞こえるはずです。今後は『2021』のような、環境音や電子音を織り交ぜたアンビエントな楽曲を制作していきたいです」

――収録曲の『Cactus』は2020年の終わりにリリースされています。以降、音楽性や心境において、現在までにどのような変化がありましたか?

「さまざまな側面で大きな変化があったと思います。以前は部屋にこもって、一人で音楽を作っていましたが、今はバンドメンバーやプロデューサーたちとの共同作業です。なので、自分の音楽的な考えを正確に伝えるためのコミュニケーション能力や協調性が求められます。慣れるのに時間がかかりましたが、成長したと思いますし、自信も付きました」

LÜCYが最も思い入れのある楽曲として挙げている『2021』のテーマは「旅立ち」。
2020年と2021年という彼女の人生の過渡期を表すと同時に、
20歳から21歳へと成長した彼女の年齢をも表している。

家族の声や鳥の鳴き声、飼い猫の喉鳴らしなど、彼女が普段の生活の中で
聞いている音が散りばめられており、居心地のいい自宅から広い世界へと
旅立つ期待感や不安、感傷が表現されている。

SNSでのやり取りから発展した、
羊文学とのコラボレーション楽曲『OH HEY』

――共作でいうと、羊文学とのコラボレーション楽曲『OH HEY』
が5月にリリースされています。実現した経緯について教えてください。

「お互いのインスタグラムをよく見ていたんです。音楽的にも共感し合える存在だったので、チャットでコラボレーションを提案しました。その後、正式にプロジェクトとして動き出してからは、間に通訳も入れて、オンラインでのミーティングやテキストでのやりとりを重ねながら、作り上げたんです」

――『OH HEY』の歌詞は塩塚さんとの共作ですが、
どのような想いが込められているんですか?

「愛についてなのですが、これは恋愛に限らず、友人や家族に対しても感じられる類のものです。愛が深いと、自分が傷つくこともありますが、対象が家族の場合、別れるわけにはいかないですよね。彼らが何をしようとも向き合わないといけない。この感覚は友人や恋愛にも当てはまります」

ピアノのレッスンが
嫌いだった子供が
ミュージシャンを志すまで

――音楽に興味を持つきっかけは何でしたか?

「小学2年生の頃からピアノのレッスンを受けていましたが、母親に強制的にやらされていたので、あまり好きではありませんでした。それでも弾き続けているうちに、決してピアノ自体が嫌いなのではなく、先生が決めた曲を譜面通りに弾くのが嫌なのだということに気づきました。それから曲を自分でアレンジするようになったのですが、先生からは怒られていましたね。けど、これが作曲に目覚めたきっかけだと思います」

――ミュージシャンになる決心がついたきっかけはありますか?

「デモ音源がプロデューサーのDéjà FuとWang Weiの手に渡り、2人とも可能性を感じてくれたんです。ミュージシャンになりたいかと聞かれ、”もちろん“と答えました。既に曲は作っていましたし、ミュージシャンになってもならなくても私の生活は変わらないんです。なので、失うものはない、と考えていました」

――いつからLÜCYと名乗るようになったんですか?

「小さい頃から名乗っていましたが、”LUCY”というつづりは大勢いるので、目が2つ付いた”Ü”に差し替えたんです。中学生だった頃、DJ名を考えていた時に思いついたアイディアです」

刺激とインスピレーションを得たヨーロッパツアー

――今年はヨーロッパツアーも実現しましたね。どの国を訪れたんですか?

「最初にリトアニアに行きました。自然が美しく、アーティスティックなグラフィティがたくさんあったのが印象的です。その次に訪れたオランダでは本当の意味での「自由」を感じました。草の上で寝転がり、青空と雲を眺め、ピースフルな時間が過ごせましたし、誰も私のことを気にかけてなくて、それが心地よかったです。その後、ベルギーに向かいました。教会の中で演奏し、浄化されるような気持ちになりました。食べ物がとても美味しく、屋外のレストランで食べていた時に、まるで中世にタイムスリップしたかのような不思議な気持ちになりました。とても楽しかったですし、想像力が刺激されましたね」

――今回のツアーで、どのライブが最も印象的でしたか?

「やはりプリマヴェーラ・サウンドです。出演が決まるまで、この音楽フェスティバルについて知らなかったのですが、その規模の大きさと豪華なラインナップに驚かされました。私が大好きなアーティストも多く、彼らのライブを観ることができることにも興奮しました。そして、観客がとても情熱的なんです」

――今回のヨーロッパツアーでの経験は今後の創作の糧になりそうですか?

「多かれ少なかれ糧になっていると思います。何故なら、私はこれまで海外に行ったことがなかったんです。別の世界を目の当たりにして、私の中の何かが変わったのを感じました。スマートフォンにはたくさんのメモが残っています。それらは電車に乗っている時など、ふとした瞬間、頭に浮かんだアイディアです」

――これまでの音楽活動は部屋での作曲がメインだったと思いますが、最近はライブも増えていると思います。ヨーロッパツアーでの「特訓」を経て、ステージでのパフォーマンスにも慣れてきましたか?

「少しずつ、ステージで表現するコツを身に付けていっていると思います。最近は、自分の内面世界に深く潜り込んだパフォーマンスができていますし、緊張することも減りました。以前、台北アリーナでライブのリハーサルをしていた時、あまりのプレッシャーから泣き出してしまったんです。その時はサポートミュージシャンたちとも初対面で、心細かったです。今は気心の知れたバンドメンバーが居てくれるので、安心感もあります」

――あなたと同じように、楽曲制作を行っている人たちに向けてアドバイスはありますか?

「自分の好きなようにやっていいと思います。人は誰しも自分のペースやスケジュールがあるので、焦る必要もありません。私は作曲をすることで、自分にその能力があることに気付けましたし、何かをやりたいと思ったら、自分を信じて挑戦すべきだと思います」

ヨーロッパツアーから帰国したばかりで、インタビュー中は疲れも見えたLÜCYだが、「次はエレクトロニックミュージックの要素を増やし、アンビエントミュージックから着想を得た作品が作りたい」と早くも次作への意欲を示す。

可能性に満ちた台湾の若き新鋭シンガーソングライターが、次はどんな音を生み出すのか、その活動から目が離せない。

LÜCY’s
BEATs