Dadado Huang インタビュ

台湾の都会派シンガーソングライター/プロデューサーとして知られるダダド·ホアン(黃玠)。2007年にデビューし、これまでに4枚のアルバムを発表、15年以上のキャリアを持つ。クラシックを素地とする洗練されたソングライティングと、ささやくような特徴的なヴォーカル。また、自身が抱える悩みや問題について率直に歌い上げる姿勢が支持され、根強いファンを抱えている。

楽曲提供者としても才能を発揮し、台湾のポップアイコン、ワーウェイ(魏如萱)をはじめとするさまざまなアーティストたちとコラボレーションしている。2016年には来日も果たし、Nabowaと共演。音楽やプロレスなど、日本のカルチャーへの造詣も深い。今回はそんなダダドにインタビューを行い、これまでのキャリアや各作品について語ってもらった。

運命的な出会いが導いたミュージシャンとしてのキャリア

――ダダドさんといえば、アコースティックギターの弾き語りをベースとした、シンプルでインティメートな音楽性が特徴かと思います。創作のインスピレーションについて教えてください。

「基本的には自分自身の問題を音楽で解決したいという気持ちで楽曲制作しているので、インスピレーションはとてもパーソナルなものなんです。なので、インティメートな雰囲気を感じ取っている人がいるのだとしたら、それは想定外ですね。だけど、私と同様の経験がある人は、歌詞に親しみを覚えるのかもしれません。」

――となると歌詞を書くときはリアリティというか、正直さのようなものを大切にしているということでしょうか?

「もちろん、正直でいたいと思います。曲を書き始めた頃は、『産みの苦しみ』のようなものを感じていたのですが、ある時、自分の好きなアーティストたちは皆、ステージ上で自分自身をさらけ出すことを恐れていないことに気づいたんです。そして、自分の考えについても率直に語っていた。このことにとてもインスパイアされました。」

――どういったアーティストたちから影響を受けましたか?

「ニルヴァーナですね。あとは、台湾だとシンガーソングライターのチェン・チーチェン(陳綺貞)です。」

――ニルヴァーナの影響は予想外でした。

「それ以外にも、オフスプリングやオアシス、ブラーなど、90年代のロックにはかなり影響を受けていますね。そして、例えばニルヴァーナの『アンプラグド』のライブのように、『ロックバンド』とみなされているアーティストも、アコースティック編成で演奏することがありますし、フォークと無関係ではないんです。 」

――本当にロックがお好きなんですね。どのように音楽活動をスタートさせたのかも気になります。

「楽曲制作をはじめたきっかけは、ウー・ツーニン(吳志寧)というシンガーソングライターに出会った事です。ウー・ツーニンは台湾の著名な詩人、ウー・シェン (吳晟 )の息子で、大学時代に知り合い、一緒に音楽を作るようになったんです。彼は現在もシンガーソングライターとして活動中です。」

――大学時代はどのような音楽性でしたか?やはりロックでしょうか。

「いえ、最初からアコースティックギターによる弾き語りというスタイルでした。ニルヴァーナのような音楽も試みたことがあるのですが、自分にはできませんでした(笑)」

――そこからどのようにデビューのきっかけを掴んだんですか?

「最初は音楽でお金が稼げるなんて思ってもいなかったので、純粋に好きで作曲をしていたんです。きっかけが訪れたのは兵役時代。上司が音楽業界の関係者だった繋がりで、旺福のメンバーらとともに、川島茉樹代のアルバム制作に参加したんです。その頃、未発表曲が20曲近くありましたから、その上司からプロのミュージシャンとしてのキャリアをすすめられ、自身のアルバム制作の準備を始めました。 」

――大学時代と兵役時代、その2人のメンターに出会ったことが全てというか、ミュージシャンになる運命だったとすら感じられるエピソードですね。

「そうですね、逆にミュージシャンにならなければもっとお金持ちになっていたかも分かりませんが(笑)大学時代は森林工学 を学んでいたので、全く予期しないキャリアでした。」

――プロデビューが他のアーティストへの楽曲提供だったわけですが、「自分の楽曲は自分で歌いたい」と思ったりはしませんか?

「最初の頃は他のアーティストが自分の楽曲を歌うことに対して違和感もありました。ただ、ワーウェイによる『香格里拉(Shangrila)』のカバーで考えが変わったと思います。彼女のアレンジは、いい意味で私の予想を裏切るもので、自身の音楽に対して新たな可能性を感じたんです。」

――楽曲を自分自身で歌うのか、あるいは他のアーティストが歌うのか、その前提によっても制作プロセスは異なると思います。

「そうですね。私としては、他のアーティストが歌うことを想定する方が書きやすいです。魏如萱には『門』という楽曲を提供(書き下ろし)したことがあり、彼女とはカバーと楽曲提供の両方を経験しているので、その違いがよく分かるんです。」

――デビュー以降、アコースティックでシンプルな音楽性が特徴でしたが、2014年リリースのEP『大自然的力量(POWER OF NATURE)』では電子音やヒップホップを取り入れ、よりカラフルなミクスチャーミュージックに様変わりしたというか、一気に方向性を変えた印象を受けました。これは何故でしょうか?

「これは所属していたレコード会社『A Good Day Records』による提案だったのですが、私自身フォーク以外にも色々な音楽を聴いていますし、ジャンルの異なる3組のアーティストとコラボレーションする事にしたんです。」

自分の事を理解しているからこそインディーズでいたい

――ダダドさんの多彩な音楽性が反映された作品、とも言えるのでしょうか?

「そうですね、当時の私の音楽的な好みが大きく反映されていると思います。当初のコンセプトが『異なるジャンルのアーティストとのコラボレーション』だったので、チャレンジが前提だったというか、逆に肩の力を抜いて制作に取り組めたと思います。例えば、収録曲の『一路向東』はヒップホップですが、通常であれば収録をためらうでしょう。けど、このコンセプトがあったからこそ、世に出すことができました」

――『一路向東』でフィーチャリングされているのが原住民出身のシンガーソングライター、スミン(舒米恩)だったり、参加アーティストも気になりますね。

「スミンは旧友ですね。ホアン・シャオチェン(黃小楨 berry j)は私の先輩で、1stアルバム『綠色的日子』と2ndアルバム『我的高中同學』は彼女のプロデュース です。」

――他の人にプロデュースされる事に対してはどう考えてますか?インディーズシーンが隆盛を極める台湾では、セルフプロデュースを行うアーティストも多いかと思います。

「3rdアルバム『下雨的晚上』以降はセルフプロデュースです 。ホアン・シャオチェンにプロデュースの依頼をしたところ、『自分でできるはず』と背中を押されました。実際やってみて、自分でプロデュースした方が羽を伸ばせるとは感じましたね。」

――台湾の音楽事情は特殊で、近年はインディーズアーティストが若者から大きな支持を集めていて、「新たなメインストリーム」と言っても過言ではありません。00年代から業界の最前線で活動してきたダダドさんは、このシーンの隆盛をどう見てますか?

「SNSが普及するにつれ、インディーズシーンが大きくなることは予想していました。ニッチなアーティストにもファンを見つける道が開けましたから。」

――デビューから2020年まで一貫して、台湾の有名インディーズレーベル「A Good Day Records」 から作品をリリースしていますよね。メジャーレーベルと仕事をしたいと思ったことはありますか?

「それはあまりないですね。投資してもらえる額やプロモーションの観点でアドバンテージは大きいかもしれませんが、表現上の制約もあると思います。私は正直でいたいですし、自分がどのような人間・ミュージシャンであるか、よく理解しているので、自分がやりたいことに集中したいんです。」

――インディーズアーティストたちの躍進ぶりを見ると、「その必要性がない」とも言えるのでしょうか。

「そうですね。例えば、アメイジング・ショウ(美秀集團)やフレッシュ・ジューサー(血肉果汁機)は大きな成功を収めたインディーズバンドで、今では『メインストリーム』とみなされています。彼らは、メジャーレーベルのリソースがなくても、バンドの運営は可能だということを示していると思います。音楽を発信するだけでなく、自分たちの世界観を確立させることができていますから。」

――2017年にシングルを3枚リリースして以降、しばらく作品のリリースが止まっていたのは何故ですか?

「音楽との関係を見直すべく、しばらく休みをとることにしたんです。音楽を作り続けないといけない、というプレッシャーもありましたし。音楽が『ただの仕事』のようになってしまい、燃え尽き症候群とも言える状態でした。2017年にリリースされたシングルも、厳密には昔書いた曲だったんです。それでも、ライブはずっと続けていましたね。」

――2016年リリースの4rdアルバム『在一片黑暗之中』からもどこか暗い雰囲気を感じ取ることができます。2023年現在、改めて本作を聴いてどう感じますか?

「とてもダークな作品だと思います。今となっては、『自分の暗部と真剣に向き合おうとしていたんだな』と感じることができます。」

数年間の沈黙を経て、
導き出された新たな展開

――そういった時期を経て、2022年に『綠色的日子(15週年紀念版)』がリリースされます。それも収録曲『做朋友(天氣好)』ではゲシュタルト乙女のヴォーカリスト、Mikan Hayashiを迎え、日本語で歌われています。久々のリリースだったことに加え、音楽的にもこれまでにない試みで、ファンにとってもサプライズだったのではないでしょうか?

「そうですね、ある日マネージャーのケイトから、デビューアルバム『綠色的日子』が2022年で15周年を迎えることを知らされたんです。そこでイベントやヴァイナルリイシューなどを行い、その一環として収録曲『做朋友』と『25歳』のリメイク が決まりました。ゲシュタルト乙女はインターネットで見つけたんです。歌詞も日本語ですし、あたかも邦楽のようなサウンドに惹かれました。」

――邦楽はお好きですか?

「ええ、とても好きです。サザンオールスターズやサニーデイ・サービスを愛聴しています。」

――音楽のみならず好きな日本のカルチャーはありますか?

「日本のプロレスが大好きです。三沢光晴や橋本真也の大ファンです。」

――今年の予定を聞かせてください。

「夏にはニューアルバムをリリース予定です。人生で新たな節目を迎え、伝えたい事も変わりましたし、音楽的にはフォークを踏襲しつつも、冒険性のあるものになると思います。日本でもライブしたいですね。」

ダダドは2020年、長らく所属してきたレーベル「A Good Day Records」を離れ、「Dear Musik」に移籍したばかり。自身はあくまで創作に専念し、ビジネス面は他のメンバーに委ねたいようだ。「みんなのボスになって指示は出したくない。クールじゃないからね」と屈託のない笑顔で語る。インタビューではどんな質問に対しても率直に考えを述べ、冗談も交えながら場を和ませくれた。

その鷹揚な人柄に、親近感を覚える一方で、芯の強さも感じさせる。音楽制作にストレスを感じた時、無理に続けるより、まずは休みを取る。そういった判断ができるのもまた強さだ。台湾の音楽業界で15年以上のキャリアを築くのは簡単なことではない。確かな実力と、ファンの根強い支持があってこそだろう。ブレない軸と適度なマイペース感、その絶妙なバランス感覚こそが息の長いキャリアを築く秘訣ではないだろうか。

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